愛の物語―詩経の新解釈

『詩経』には男女の愛や結婚に関する歌謡が多く収められている。二千年間の儒教的解釈の後、近代になって宗教学的・民俗学的解釈も生まれた。しかし内容に偏する余り、この解釈も行き詰まった感がある。本ブログでは表現形式、特に言葉そのものに主眼を置き、言語学的・詩学的解釈をめざす。この手法によって古代人の心理のひだに分け入り、愛の諸相を読み解く(訓読・翻訳はほぼ学研・中国の古典『詩経』に依拠)。

汾沮洳フンショジョ篇―詩経国風・魏風

彼汾沮洳  彼の汾フンの沮洳ショジョ   汾の沢のほとりで
言采其莫  言ここに其の莫を采らん   すかんぽを摘もうよ
彼其之子  彼の其の子         私のいとしい人は
美無度   美なること度無し       えもいわれぬ美しさ
美無度   美なること度無し       えもいわれぬ美しさ
殊異乎公路 公路に殊異なり      殿様の車係で並びなし

彼汾一方  彼の汾フンの一方    汾の沢の片側で
言采其桑  言ここに其の桑を采らん   クワの葉を摘もうよ
彼其之子  彼の其の子         私のいとしい人は
美如英   美なること英はなの如し    花のような美しさ
美如英   美なること英の如し      花のような美しさ
殊異乎公行 公行に殊異なり      殿様の衛士で並びなし

彼汾一曲  彼の汾フンの一曲    汾の沢のくまで
言采其藚  言ここに其の藚ショクを采らん   おもだかを摘もうよ
彼其之子  彼の其の子         私のいとしい人は
美如玉   美なること玉の如し      玉のような美しさ
美如玉   美なること玉の如し      玉のような美しさ
殊異乎公族 行族に殊異なり      殿様の一族で並びなし

〈形式分析〉
Ⅰ~Ⅲ 1彼汾[  a  ]
    2言采其[b]
    3彼其之子
    4美[  c  ]
    5美[  c  ] 
    6殊異乎[ d ]

 

    Ⅰ

    Ⅱ

    

    a

   niag

 一  piang

 一  k'iŭk

    b

 莫   mag

 桑   sang

 藚   diuk

    c

   dag

 如  ・iăng

 如  ngiuk

    d

 公  lag

 公  ɦang

 公  dzuk

(パラディグム表)

四つの箇所でパラディグムを変換し、三つのスタンザに展開し反復する形式。一字も換えない定リフレーンは3の詩行だけである。4・5は同一スタンザ内でのリフレーンになっている。
汾という固有名詞が出るのは、この詩が山西省にあった魏の国で採集されたことを示す。
1はデートの場所の呈示、2は摘草モチーフによって恋愛の場の雰囲気を作り出す。またそれは誘いの文句でもある。
縦の列(Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)はそれぞれ音声上の類似性のパラディグムで排列されている。横の列(a・b・c・d)はそれぞれ意味上の類似性のパラディグム。aでは沮洳という場所から一方→一曲へと変え、だんだん奥まった場所へ、人目のつかない場所への移動を表す。bでは植物の名のパラディグム。排列の順序には特別の意味はなさそうである。cは男性の美をたたえる語。c―Ⅰの「無度」は「最高だ」とあからさまな譬喩のない表現であるが、Ⅱ・Ⅲでは直喩を用い、美しさを視覚的に感覚的に描く。Ⅱでは花にたとえ、Ⅲでは玉にたとえる。花や玉という物をもって美の形容とするのは即物的であり、映像がはっきり浮かんでくる。しかも女性美の表現に使われる花や玉を男性に用いることは最高のほめ言葉である。dは人間集団のパラディグム。男と比較される集団が路(車係)→行(衛士)→族(一族全体)へと範囲を広げていく。最終詩行でほめ言葉はクライマックスに達する。恋人の美をほめたたえることがそのまま愛の告白につながるのはいつの世でも変わらない。

〈語釈〉
〇汾・・・山西省を流れる川の名。
〇沮洳・・・ところどころに水のたまった湿地。「さわ」のような場所。
〇言采其莫・・・「言采其~」は摘草モチーフを作る定型的な表現。摘草モチーフは恋愛の場の造形である。言はリズムを調節する詞で、「ここに」と読む。
〇莫・・・Rumex acetosa。タデ科ギシギシ属の多年草、スイバ。茎は円柱形。茎と葉に蓚酸が含まれ、酸味がある。後世の名は酸模サンボ。 
〇彼其之子・・・好きな人を指す定型句。子は親しく呼ぶ称で、男女ともに使える。
〇無度・・・度はものさし・目盛り。ものさしで計れない程この上がないことをいう。
〇殊異・・・特別に異なっている。
〇公路・・・公は殿様や貴人。路は輅(貴人の乗る車)と同じ。殿様の車を担当する役人を公路という。
〇一方・・・沮洳の一方(片側)。
〇如英・・・英は花。「顔は舜英(ムクゲの花)の如し」という表現があるように、女性の美しさを花にたとえる。
〇公行・・・殿様の行列を担当する役人。衛士のようなもの。
〇一曲・・・水が曲がって入り組み、人目につかない所。
〇藚・・・Alisma plantago-aquatica var. orientale。オモダカ科サジオモダカ属の多年草、サジオモダカ。水辺の泥地に生える。後世の名は沢瀉タクシャ
〇如玉・・・玉は美しい宝石。漢詩では女の美を玉にたとえることが多いが、詩経では男の美を玉にたとえる詩がほかにもある。
〇公族・・・殿様の同族。 

蒹葭ケンカ篇―詩経国風・秦風

蒹葭蒼蒼  蒹葭蒼蒼ソウソウたり        ひめよしはあおざめて
白露爲霜  白露霜と為る           白い露は霜になる
所謂伊人  所謂いはゆるの人        私のいとしい人は
在水一方  水の一方に在り          川のかたわらにいる
遡洄從之  遡洄ソカイして之に従へば      流れを上って後追えば
道阻且長  道は阻して且つ長し       道は険しくどこまで続く
遡游從之  遡游ソユウして之に従へば     流れを下って後追えば
宛在水中央  宛エンとして水の中央に在り    いつの間にやら川の真ん中

蒹葭萋萋  蒹葭萋萋セイセイたり        ひめよしは一面に茂り
白露未晞  白露未だ晞かわかず       白い露は乾かず残る
所謂伊人  所謂いはゆるの人        私のいとしい人は
在水之湄  水の湄ほとりに在り           川の岸辺にいる
遡洄從之  遡洄ソカイして之に従へば      流れを上って後追えば
道阻且躋  道は阻して且つ躋のぼる       道は険しく坂を上る
遡游從之  遡游ソユウして之に従へば     流れを下って後追えば
宛在水中坻 宛エンとして水の中坻チュウチに在り  いつの間にやら川の中州に

蒹葭采采  蒹葭采采たり           ひめよしは色映えて
白露未已  白露未だ已まず          白い露はまだ消えない
所謂伊人  所謂いはゆるの人        私のいとしい人は
在水之涘  水の涘みぎわに在り          川のなぎさにいる
遡洄從之  遡洄ソカイして之に従へば      流れを上って後追えば
道阻且右  道は阻して且つ右す      道は険しく折れ曲がる
遡游從之  遡游ソユウして之に従へば     流れを下って後追えば
宛在水中沚 宛エンとして水の中沚チュウシに在り  いつの間にやら川の小島に

〈形式分析〉
Ⅰ~Ⅲ 1蒹葭[  a  ]
    2白露[  b  ]
    3所謂伊人
    4在水(之)[c]
    5遡洄從之
    6道阻且[d]
    7遡游從之
    8宛在水中[e]

 

    Ⅰ

    Ⅱ

    Ⅲ

    a

   ts'ang

 萋  ts'er   

 采  ts'əg

             b

   sïang

 未  hiər

 未  d(y)iəg

             c

   piang

 湄   miuər

 涘   dzïəg

             d

 長   diang

 躋   tser

 右   ɦiuəg

             e

 央   ・iang

 坻   dier

 沚   tiəg

 (パラディグム表)

五つの詩行でパラディグムを変換し、三つのスタンザを反復する形式。3・5・7の詩行は一字も換えないリフレーンである。また5と7は文体的な対偶法をなす。
表の縦の列(Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)は音声上の類似性のパラディグム。Ⅰでは~ang、Ⅱでは~er、Ⅲでは~əgが共通の語尾になっている。これを押韻というが、詩経では単なる語呂合わせではない。異なった意味領域のものごとを音声的類似性で結びつける働きがあり、これの発見に詩の眼目がある。それは横の列(a・b・c・d・e)でも同じである。これらは意味上の類似性で結ばれている。aでは植物の状態を形容する語。bでは露の降り方・置き方に関する語。cでは川の周辺の地形に関する語。dでは道の形態に関する語。eでは川の中の場所に関する語。音声上の類似性の語と意味上の類似性の語が縦横に交差して網の目のように排列されるのである。これは詩経の詩学の最も基本的な形式であり、美的要素が最高度に発揮されている。
反復形式は単なる繰り返しではない。パラディグムを変換することにより、場面ごとに少しずつ変化が生じる。一つのスタンザを一つの絵画とすると、その絵画の中の何かが変わることで、次の絵画に新たなものが加わる。さらにまた次の絵画に新たなものが加わる。すると三回反復した絵画に動きが生まれる。これはまさに動画である。詩経の反復形式は動画的な効果がある。
aは植物の色が蒼蒼→萋萋→采采と変化する。夜明けの頃、アシの原の景色が青ずんだ状態(暗くて薄ぼんやりと見える状態)から、生い茂ったアシの色が見える状態へ、ほのかな光を反射して色が映えてくる状態へと変化する。ここには夜から朝への時間の経過が読み取れる。
bでは「霜と為る」から「未だ晞かず」「未だ已まず」へ変化し、露の置き方が日の出とともに十分に置いた状態から次第に衰えていくことが示される。ここにも時間の動きがある。
cでは心に思う恋人がいるであろうと想像される場所が川の側面から岸辺、汀へと移動する。つかもうと必死で求める恋人があてどなく離れていく。
dでは恋人を求める作者(男性)は女性の後を追おうとするが、道は険しいだけでなく、遠く長い→坂になっている→折れ曲がるへと変化し、女性をつまえることができない。
eではつかまえたと思った瞬間、女性は川の中央→土砂のたまった場所(中州や小島)へ移動しており、ついにつかまえることはできなかった。
これは幻想的な風景である。恋人の心をとらえることのできない男性の空想世界の出来事である。本詩では化け物は出ないがムソルグスキーの「禿げ山の一夜」を映像化したディズニーの「ファンタジー」を想起させる。夜のアシ原を、恋人を求めてさまよい、恋人を見つけたと思ったら、恋人は川の上を移っていく。必死に求めるうち、とうとうアシ原に夜明けの時がくる。幻想は終わりを告げる。

〈語釈〉
〇蒹葭・・・Phragmites communis。イネ科の多年草、アシ。アシを表す漢名は一つではない。生長によって名が変わる。初生のアシを蒹という。ついで萑→葭→蘆となり、最終段階のアシを葦という。蒹葭は老成したアシではないので「ひめよし」と訳す。
〇蒼蒼・・・蒼は青とは違いくすんだ青色。
〇白露爲霜・・・霜は白露が凍ったものというのが古代中国人の通念。
〇所謂伊人・・・伊人は「彼其之子」と似たような表現で、恋人を表す常套語。
〇一方・・・一方の側。川の側面の土地を指す。
〇遡洄・・・川の流れを回りつつ遡る。
〇從・・・後について行く。後を尋ねて追う。
〇阻・・・山や道が険しい。
〇遡游・・・押し流されるままに下る。游は定所なく水上に浮かぶ意味。
〇宛・・・気がつかないうちにいつの間にかの意味。
〇萋萋・・・草木が生い茂る様子。
〇湄・・・水の近く。岸辺。
〇躋・・・高い所にのぼる。坂をのぼる。
〇坻・・・川の中に土砂のまたった所。中州。
〇采采・・・彩りの華やかな様子。
〇已・・・「やむ」と読む。ここでは露が全く乾くことをいう。
〇涘・・・みぎわ。なぎさ。
〇右・・・右に折れること。長・躋・右は道の距離が長いけれども平坦や直線のコースではないことをいっている。 
〇沚・・・川の中で水の流れを一時的に止める所。川の中にできた小島や中州のこと。

鶉之奔奔ジュンシホンホン篇―詩経国風・鄘風

鶉之奔奔  鶉うずらの奔奔たる     ウズラは激しく相手に挑み
鵲之彊彊  鵲かささぎの彊彊キョウキョウたる カササギは荒々しく求め合う
人之無良  人の良きこと無き       良人は優しくしてくれない
我以爲兄  我は以て兄と為さん      私は兄と見なします

鵲之彊彊  鵲の彊彊たる       カササギは荒々しく求め合い
鶉之奔奔  鶉の奔奔たる          ウズラは激しく相手に挑む
人之無良  人の良きこと無き       良人は優しくしてくれない
我以爲君  我は以て君と為さん      私は殿様と見なします

〈形式分析〉
Ⅰ・Ⅱ  1鶉(鵲)之[a]
   2鵲(鶉)之[a]
   3人之無良
   4我以爲[b]

 

    Ⅰ

    

    a

 彊彊  giang

 奔奔  puən

    b

 兄   hiuăng

 君   kiuən

 (パラディグム表)

a・bの二か所でパラディグム(同系列語)を変換し、二つのスタンザに反復させる形式。各スタンザの冒頭の二詩行(1・2)は入れ換えただけなのでリフレーンと考えてよい。
表の縦の列(Ⅰ・Ⅱ)はそれぞれ音声上の類似性をもつパラディグム。横の列(a・b)はそれぞれ意味上の類似性をもつパラディグム。aは動物の行動に関わる擬態語。彊は強と同じで、強引に、がむしゃらに相手に挑む様子を形容している。鳥の求愛の姿を想像したものと考えてよい。奔は勢いよく前に突き進む意味なので、
奔奔も同じく鳥の求愛を形容している。鳥の積極的な求愛を呈示したのは、これが人間の求愛と全く反対であることを訴えたいためである。それは3の「人の良きこと無し」という定型句で明らかにされる。良とは男が女に対して優しくしてくれる(つまり愛情をもつ)ということを意味する詩経の常套語である。無良は優しくしてくれない、冷たい仕打ちをすることを意味する常套語である。また良人は優しい(愛情を示してくれる)人を意味する常套語である(日本で良人を夫に特化した意味に取っているのはここに由来)。
bは兄から君への変換である。これは何を意味するか。兄は親族として近い関係であるが、性的関係としては遠い相手である。「兄と為す」というのは「夫ではなく兄と見なす」と突き放した表現である。同じように君は地位・身分の高い殿様であって、人間関係としては遠く、ましてや性的関係もありえない。「君と為す」というのは「殿様として遠ざける」という意思表示である。表現は烈しい拒否のように見えるが、逆に愛情の薄くなった夫を挑発していると解釈できる。


〈語釈〉
〇鶉・・・Coturnix coturnix。キジ科の鳥、ウズラ。小型で尾が短い。雄は闘争を好むという。
〇奔奔・・・勢いよく突っ走るさま。激しく争うさま。二羽の鳥がぶつかり合う姿を雄が雌をめぐって争う姿、あるいは、雄が雌を激しく求める姿に見立てた表現。

〇鵲・・・Pica pica sericea。スズメ科の鳥、カササギ。尾は長く、止まっているとき上下に揺れる。カササギの鳴き声は吉事の前兆とされる。
〇彊彊・・・むりやり行動するさま。無理に求めるさま。古注では奔奔と彊彊を「乗匹(交尾する)」、「常匹(決まったカップル)をなす」などと解釈するが、言葉の意味としては正確ではない。鳥の雌雄をめぐる激しい行動を性愛の譬喩とした表現である。
〇人之無良・・・「夫之無良」などと似た定型句。夫を一般化して人と言ったのは疎遠な感じを表している。
〇以爲・・・Aを以てBとみなすという意味。「(そうではないのに)~と思う」という意味にもなる。

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