彼汾沮洳 彼かの汾フンの沮洳ショジョ 汾の沢のほとりで
言采其莫 言ここに其の莫ボを采らん すかんぽを摘もうよ
彼其之子 彼の其の子 私のいとしい人は
美無度 美なること度無し えもいわれぬ美しさ
美無度 美なること度無し えもいわれぬ美しさ
殊異乎公路 公路に殊異なり 殿様の車係で並びなし
彼汾一方 彼かの汾フンの一方 汾の沢の片側で
言采其桑 言ここに其の桑を采らん クワの葉を摘もうよ
彼其之子 彼の其の子 私のいとしい人は
美如英 美なること英はなの如し 花のような美しさ
美如英 美なること英の如し 花のような美しさ
殊異乎公行 公行に殊異なり 殿様の衛士で並びなし
彼汾一曲 彼かの汾フンの一曲 汾の沢のくまで
言采其藚 言ここに其の藚ショクを采らん おもだかを摘もうよ
彼其之子 彼の其の子 私のいとしい人は
美如玉 美なること玉の如し 玉のような美しさ
美如玉 美なること玉の如し 玉のような美しさ
殊異乎公族 行族に殊異なり 殿様の一族で並びなし
〈形式分析〉
Ⅰ~Ⅲ 1彼汾[ a ]
2言采其[b]
3彼其之子
4美[ c ]
5美[ c ]
6殊異乎[ d ]
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Ⅰ |
Ⅱ |
Ⅲ |
a |
沮洳 niag |
一方 piang |
一曲 k'iŭk |
b |
莫 mag |
桑 sang |
藚 diuk |
c |
無度 dag |
如英 ・iăng |
如玉 ngiuk |
d |
公路 lag |
公行 ɦang |
公族 dzuk |
四つの箇所でパラディグムを変換し、三つのスタンザに展開し反復する形式。一字も換えない定リフレーンは3の詩行だけである。4・5は同一スタンザ内でのリフレーンになっている。
汾という固有名詞が出るのは、この詩が山西省にあった魏の国で採集されたことを示す。
1はデートの場所の呈示、2は摘草モチーフによって恋愛の場の雰囲気を作り出す。またそれは誘いの文句でもある。
縦の列(Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)はそれぞれ音声上の類似性のパラディグムで排列されている。横の列(a・b・c・d)はそれぞれ意味上の類似性のパラディグム。aでは沮洳という場所から一方→一曲へと変え、だんだん奥まった場所へ、人目のつかない場所への移動を表す。bでは植物の名のパラディグム。排列の順序には特別の意味はなさそうである。cは男性の美をたたえる語。c―Ⅰの「無度」は「最高だ」とあからさまな譬喩のない表現であるが、Ⅱ・Ⅲでは直喩を用い、美しさを視覚的に感覚的に描く。Ⅱでは花にたとえ、Ⅲでは玉にたとえる。花や玉という物をもって美の形容とするのは即物的であり、映像がはっきり浮かんでくる。しかも女性美の表現に使われる花や玉を男性に用いることは最高のほめ言葉である。dは人間集団のパラディグム。男と比較される集団が路(車係)→行(衛士)→族(一族全体)へと範囲を広げていく。最終詩行でほめ言葉はクライマックスに達する。恋人の美をほめたたえることがそのまま愛の告白につながるのはいつの世でも変わらない。
〈語釈〉
〇汾・・・山西省を流れる川の名。
〇沮洳・・・ところどころに水のたまった湿地。「さわ」のような場所。
〇言采其莫・・・「言采其~」は摘草モチーフを作る定型的な表現。摘草モチーフは恋愛の場の造形である。言はリズムを調節する詞で、「ここに」と読む。
〇莫・・・Rumex acetosa。タデ科ギシギシ属の多年草、スイバ。茎は円柱形。茎と葉に蓚酸が含まれ、酸味がある。後世の名は酸模サンボ。
〇彼其之子・・・好きな人を指す定型句。子は親しく呼ぶ称で、男女ともに使える。
〇無度・・・度はものさし・目盛り。ものさしで計れない程この上がないことをいう。
〇殊異・・・特別に異なっている。
〇公路・・・公は殿様や貴人。路は輅(貴人の乗る車)と同じ。殿様の車を担当する役人を公路という。
〇一方・・・沮洳の一方(片側)。
〇如英・・・英は花。「顔は舜英(ムクゲの花)の如し」という表現があるように、女性の美しさを花にたとえる。
〇公行・・・殿様の行列を担当する役人。衛士のようなもの。
〇一曲・・・水が曲がって入り組み、人目につかない所。
〇藚・・・Alisma plantago-aquatica var. orientale。オモダカ科サジオモダカ属の多年草、サジオモダカ。水辺の泥地に生える。後世の名は沢瀉タクシャ。
〇如玉・・・玉は美しい宝石。漢詩では女の美を玉にたとえることが多いが、詩経では男の美を玉にたとえる詩がほかにもある。
〇公族・・・殿様の同族。