愛の物語―詩経の新解釈

『詩経』には男女の愛や結婚に関する歌謡が多く収められている。二千年間の儒教的解釈の後、近代になって宗教学的・民俗学的解釈も生まれた。しかし内容に偏する余り、この解釈も行き詰まった感がある。本ブログでは表現形式、特に言葉そのものに主眼を置き、言語学的・詩学的解釈をめざす。この手法によって古代人の心理のひだに分け入り、愛の諸相を読み解く(訓読・翻訳はほぼ学研・中国の古典『詩経』に依拠)。

2018年01月

風雨篇―詩経国風・鄭風

風雨淒淒  風雨淒淒セイセイたり       さっと起こる雨と風
雞鳴喈喈  雞鳴喈喈カイカイたり       そろい鳴く一番どり
既見君子  既に君子を見る        背の君にお会いして
云胡不夷  云胡いかんぞ夷たいらがざらん   胸のしこりも取れました

風雨瀟瀟  風雨瀟瀟ショウショウたり      さっと起こる雨と風
雞鳴膠膠  雞鳴膠膠コウコウたり         乱れ鳴く二番どり
既見君子  既に君子を見る           背の君にお会いして
云胡不瘳  云胡いかんぞ瘳えざらん       恋の病も落ちました

風雨如晦  風雨晦くらきが如し       雨と風は暗かれとばかり
雞鳴不已  雞鳴已まず         とりの声はひっきりなし
既見君子  既に君子を見る       背の君にお会いして
云胡不喜  云胡いかんぞ喜ばざらん     恋の喜びいかばかり

〈形式分析〉
Ⅰ~Ⅲ 1風雨[  a  ]
    2雞鳴[  b  ]
    3既見君子
    4云胡不[c]

 

    Ⅰ

    

    

    a

 淒淒   ts'er

 瀟瀟   sög

  如晦  m(h)uəg

    b

 喈喈   kĕr

 膠膠   klɔg

  不已  d(y)iəg

    c

 夷    d(y)ier

 瘳    t'iog

  喜   hiəg

 (パラディグム表)

a・b・cの箇所でパラディグム(同系列語)を変換し、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲの三つのスタンザへ反復し、展開させる形式。
縦の列(Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)はそれぞれ音声上の類似性に基づくパラディグム。
横の列(a・b・c)は意味上の類似性に基づくパラディグム。aは風雨の状態を表す語。bは鶏の鳴き声を表す語。これらはすべて自然界における事物の状況を述べている。a・bともⅠ・Ⅱは畳語(音節を重ねた語)であるが、Ⅲは不規則になっている。反復を別の語形に外すのは意味がある。
cは人間の心理を表す語群。夷は「たいらぐ」の意味で、まだ会えない時の苦しい思いが平静になること、瘳は「いえる」の意味で、恋煩いが治ること、喜は文字通り「よろこぶ」こと、恋愛の成就の喜びである。夷→瘳→喜の変換は精神の状況が漸層法(クライマックス)的に変わっていき、喜びというクライマックスに到達することを表現している。
3の「既見君子」は「未見君子」と対になる定型句である。まだ会えない時の心情とすでに会った時の心情を対比させて、喜びの感情を高める形式である。本詩では「未見君子」は省略され、会えない時の心情は「不夷」「不瘳」「不喜」の語によって推測させる。それが「云胡」という反問文によって、会えた後の心情をクライマックスにまで進めるのに効果的である。
1・2と3・4は自然/人間のパラレリズム(平行法)となっており、自然界では人間を妨害しようと鶏が夜明けを告げるが、人間界ではそれを物ともせず、それをはねのけて、あるいは無視して、恋人たちは恋の桃源郷にまどろむである。

〈語釈〉
〇風雨・・・気象モチーフの一つ。風雨や嵐は烈しい心情の象徴である。
〇淒淒・・・風と雨がそろって一斉に吹きつける様子。
〇雞鳴・・・雞は鶏の異体字。雞鳴はニワトリの鳴き声。雞鳴(夜明けを告げるニワトリ)は妨害者モチーフとして使われる。
〇喈喈・・・皆は階・諧などと同源で「そろう」というコアイメージがある。喈喈は多くの鳥が声をそろえて鳴く様子。
〇既見君子・・・恋人にすでに会ったときの心情を述べるための定型句。「未見君子」と対になることが多い。
〇云胡・・・「いかん」と読み、「どうして」の意味。反問文(否定の否定)を導く。
〇夷・・・平らぐ、平らかになる。心のわだかまりが取れて穏やかになる。心の波が静かに落ち着く。
〇瀟瀟・・・ひゅうひゅうと荒らしく吹き抜ける様子。
〇膠膠・・・もつれたように入り乱れて鳴き交わす様子。
〇瘳・・・「いえる」と読む。病根が取れて治るように、恋の病が抜け落ちる。
〇如晦・・・晦は陰暦の月末のことで、月の出ない真っ暗闇。ニワトリは夜明けを告げているのに恋人たちにとってはまだ暗い世界に浸りたいから、「晦きが如し」という。

緇衣シイ篇―詩経国風・鄭風

緇衣之宜兮    緇衣シイの宜よろしき       黒い衣がよくお似合いです
敝予又改爲兮   敝やぶれなば予われ又改め為さん 破れたら私がまた作ります
適子之館兮   子の館に適き        あなたのやかたに伺って
還予授子之粲兮  還らば予われ子の粲サンを授けん    お帰りになったらあなたの食事を差し上げます

緇衣之好兮    緇衣シイの好このましき      黒い衣がよく引き立ちます
敝予又改造兮   敝やぶれなば予われ又改め造らん   破れたら私がまた作ります
適子之館兮   子の館に適き        あなたのやかたに伺って
還予授子之粲兮  還らば予われ子の粲サンを授けん    お帰りになったらあなたの食事を差し上げます

緇衣之蓆兮    緇衣シイの蓆ひろき         黒い衣は広く大きくてりっぱです
敝予又改作兮   敝やぶれなば予われ又改め作らん   破れたら私がまた作ります
適子之館兮   子の館に適き        あなたのやかたに伺って
還予授子之粲兮  還らば予われ子の粲サンを授けん    お帰りになったらあなたの食事を差し上げます

〈形式分析〉
Ⅰ~Ⅲ 1緇衣之[a]兮
    2敝予又改[b]兮
    3適子之館兮
    4還予授子之粲兮

    

    Ⅱ

    

    a

 宜   ngiar

 好   hog 

 蓆   d(z)iak

    b

 爲   ɦiuar 

 造   dzɔg 

 作   tsak 

 (パラディグム表)

a・bの二箇所でパラディグム(同系列語)を変換し、三つのスタンザを反復する形式。これは詩経の基本的な詩形である。1・2だけがパラディグム変換を伴う反復であるが、3・4は一字も換えない反復(リフレーン)となっている。
パラディグム表の縦の列(Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)はそれぞれ音声上の類似性のパラディグム。
横の列(a・b) は意味上の類似性のパラディグム。aは状態語で、衣の形態を印象的に述べる。宜・好は見栄えがよくて、それを着ている人と似合っている状況を示すが、蓆は空間的に広々していることで、衣を着ている人の肉体的特徴、すなわち肩幅が広くて堂々とした肉体美を想起させる。bは行為・動作の語で、衣を制作することを表す。爲は素材に手を加えて別のものにすることで、一般的な行為である。造は間に合わせの
素材を利用してそそくさとこしらえることで、ややそんざいな感じである。作は新しいものを作り出すことである。衣を新調することでもって相手との一体化の願望が込められる。
1・2では衣服モチーフ、3・4では食事モチーフが使われている。衣はそれを着た人に対する思い、一緒になりたいという思いが込められている。食事モチーフは一緒に食事することが求愛の表現であるとともに、食べる行為そのものがしばしば性的欲望の象徴として使われることが多い。本詩では露骨に求愛するのではなく、衣服と食事で婉曲に、本心をさらさずに、控え目に、相手に恋心を伝える。

〈語釈〉
〇緇衣・・・泥染めの黒い衣服。
〇宜・・・形がちょうどふさわしい。
〇兮・・・リズムを調節する詞。囃し詞の一種で、軽快なリズムがある。
〇爲・・・手を加えて仕上げる。「つくる」とも読む。
〇適・・・まっすぐに進んで行く。
〇子・・・相手(恋人など)を親しく呼ぶ称呼。
〇館・・・官舎。役人の宿泊する建物。「子」は役人であることが分かる。
〇粲・・・餐と同じで、食べること。食べる行為と食べ物を含む。食事は性的隠喩の常套的な表現である。
〇好・・・姿・形が美しい。
〇造・・・間に合わせの材料を集めて作る。作(新たに作る)とは意味が違う。
〇蓆・・・「むしろ」の意味もあるが、ここでは広々として大きい意味。
〇作・・・新しいものを作り出す。創作すること。

大車タイシャ篇―詩経国風・王風

大車檻檻  大車檻檻たり        大きな車ががらりがりとやって来た
毳衣如菼  毳衣ゼイイタンの如し      主はきんきら飾りの青衣裳
豈不爾思  豈あになんじを思はざらんや    あなたが好きでたまらないのに
畏子不敢  子の敢へてせざるを畏る   あなたに勇気がないのが怖いだけ

大車啍啍  大車啍啍トントンたり       大きな車がずしんずしんとやって来た
毳衣如璊  毳衣ゼイイモンの如し      主はきんきら飾りの赤衣裳
豈不爾思  豈あになんじを思はざらんや    あなたが好きでたまらないのに
畏子不奔  子の奔はしらざるを畏る      あなたが駆け落ちしないのが怖いだけ

穀則異室  穀きては則ち室を異にするも 生きてる間は夫婦になれなくたって
死則同穴  死しては則ち穴を同じくせん   死んで同じ墓の中で結ばれたい
謂予不信  予われ信ならずと謂はば     私が本気でないとおっしゃるの?
有如皦日  皦日キョウジツの如き有り      お天道様に誓って噓じゃない!

〈形式分析〉
Ⅰ・Ⅱ  1大車[  a  ]       Ⅲ 1穀則異室
   2毳衣如[b]      2死則同穴
   3豈不爾思      3謂予不信
   4畏子不[c]      4有如皦日

 

      Ⅰ

      Ⅱ

      a

 檻檻  ɦăm- ɦăm

  啍啍  duən-duən

      b

 菼      t'am 

  璊    muən

      c

 敢      kam

      奔    puən

 (パラディグム表)

Ⅰ・Ⅱのスタンザはパラディグム(同系列語)の変換によって反復して進展するが、Ⅲでパラディグム変換の形式をやめ、反復を中止する。Ⅲは転調部である。
まずパラディグムの変換を見る。縦の列(Ⅰ・Ⅱ)はそれぞれ音声上の類似性によるパラディグム。Ⅰでは~amという語尾が共通。Ⅱでは~
uənという語尾が共通。類似した音声のつながりで意味領域の異なった語を結びつける。これが後の中国詩学の押韻法となる。最初は単なる語呂合わせではなく、異世界をつなぐ語彙の選択なのである。
横の列(a・b・c)は意味上の類似性によるパラディグム。意味領域が同じ語彙の選択によって、ある事態の進行、時間的移ろい、空間的移動などの動的な局面を表現する。aでは大車が音を立てて進む情景の描写。がらんがらんというやや軽い音声が、ずしんずしんという重い音声に変わり、車の出現を遠近法的に描く。恋人を乗せた車は乗用車ではなく大車(荷物運搬車)でやってくる。これは駆け落ちにはふさわしくない車である。駆け落ちを予想した作者(女性)には意外であった。相手が駆け落ちする勇気がないことが証明された。
bでは衣裳を比喩的に描く。Ⅰでは菼(若いオギ)によって譬えられる青いみずみずしい衣裳、Ⅱでは璊(赤い玉)によって譬えられる赤い衣裳である。こんなけばけばしい目立つ衣裳で現れた恋人は駆け落ちしそうにないことが証明された。だから4の詩行で、不敢(思い切りが悪い、勇気がない)、不奔(駆け落ちしない)と非難めた言葉をぶつける。
相手のふがいなさに嫌気がさすどころか、本詩の主人公は熱烈な感情をほとばしらせる。これが転調部であるⅢのスタンザである。たとい生きている間に夫婦になれなくても死んで一緒になろうという烈しい求愛の言葉を打ち出すのである。

〈語釈〉
〇大車・・・牛に引かせて荷物を運ぶ車。
〇檻檻・・・車のがらがらという音の擬音語。旅行車でない大車には車輪の振動を和らげる装置がついていない。
〇毳衣・・・獣の細い毛で織った衣。役所や宗廟で着用する衣服とされる。旅行用の衣服ではない。
〇菼・・・青色の芽を出したオギ。
〇豈不爾思・・・豈不は反問文を導く。「あなたが好きでたまらない」という意味の定型句。
〇畏子不敢・・・敢は「思い切ってする」という動詞である。不敢は何かをする勇気がない意味。子は相手を親しく呼ぶ称。畏の主語は作者(女性)で、子は恋人(男性)を指す。
〇啍啍・・・ずっしりと重い感じを表す擬態語。本詩の文脈では車の重く響く音の擬音語。
〇璊・・・赤い色の玉。
〇奔・・・正式の手続きを踏まないで結婚すること。「駆け落ちする」と訳す。
〇穀・・・榖は穀物の意味から「(物をた食べて)生きる」という意味を派生する。
〇室・・・奥部屋の意味。同室は換喩によって夫婦となることを意味する。
〇穴・・・墓の穴。古代には夫婦を合葬する習慣があった。
〇不信・・・真実ではない。真心がない。
〇皦日・・・白く輝く太陽。 「有如皦日」は白く輝く太陽のように明白で噓偽りがないこと。

草虫ソウチュウ篇―詩経国風・召南

喓喓草蟲   喓喓ヨウヨウたる草虫    ヨーヨーと鳴く雄バッタ
趯趯阜螽   趯趯テキテキたる阜螽フシュウ   ピョンと跳ねる雌バッタ
未見君子   未だ君子を見ず       背の君にお会いせぬとき
憂心忡忡   憂心忡忡チュウチュウたり     突き上げてくる心の憂い
亦既見止   亦また既に見        ようようお会いもし
亦既覯止   亦既に覯へば     また睦み合いもした今
我心則降   我が心則ち降くだれり   心のうさはすーっと下りた

陟彼南山    彼の南山に陟のぼり   南の丘に登りゆき
言采其蕨    言ここに其の蕨わらびを采る  わらびの芽を摘んでとる
未見君子    未だ君子を見ず       背の君にお会いせぬとき
憂心惙惙    憂心惙惙テツテツたり      やり場のない心の憂い
亦既見止    亦また既に見        ようようお会いもし
亦既覯止    亦既に覯へば     また睦み合いもした今
我心則説    我が心則ち説けり     心のしこりはすっきり解けた

陟彼南山    彼の南山に陟のぼり   南の丘に登りゆき
言采其薇    言ここに其の薇を采る   のえんどうの葉を摘んでとる
未見君子    未だ君子を見ず       背の君にお会いせぬとき
憂心傷悲    憂心傷悲す            つらく悲しい心の痛み
亦既見止    亦また既に見        ようようお会いもし
亦既覯止    亦既に覯へば     また睦み合いもした今
我心則夷    我が心則ち夷たいらげり   心の波は静まった

〈形式分析〉
Ⅰ~Ⅲ 1陟彼南山
    2言采其[a]
    3未見君子
    4憂心[  b ]
    5亦既見止
    6亦既覯止
    7我心則[c]

 

   Ⅰ

   

   

    a

 *  (螽 tiong)

 蕨   kiuăt

 薇   miuər

    b

 忡忡  t'iong

 惙惙  tiuat

 傷悲  piuər

    c

 降   kŭng

 説   thiuat

 夷   d(y)ier

(パラディグム表)

パラディグム(同系列語)を変換して、三つのスタンザを反復するが、Ⅰの冒頭二詩行だけ変則になっている。Ⅱ・Ⅲでは「陟彼南山 言采其[a] 」が反復されるがⅠでは「喓喓草蟲 趯趯阜螽」が孤立している。これは導入部(イントロ)と考えてよい。テーマを予測し、それを象徴的手法によって提前する。男女の再会の喜びというテーマがが昆虫の行動によって象徴的に表されるのである。
パラディグム表を見る。 縦の列(Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)はそれぞれ音声上の類似性のパラディグム。全く異なる意味領域が音声の類似性で結びつけられる。
横の列(a・b・c) は意味上の類似性のパラディグム。aーⅠは変則部分で動物の名が入っているが、aーⅡ、aーⅢでは植物の名が変換される。bは心理の状態を形容する語で、ⅠとⅡは畳語(同じ音節を重ねた語)であるが、Ⅲではやや不規則になっている。cは心の変化を表す語。憂いが下る→解ける→平らぐと変換され、精神的な揺らぎが穏やかになる過程を表している。b・cのパラディグムはすべて心理に関わる語である。
Ⅰの冒頭では動物モチーフを提示するが、Ⅱ・Ⅲでは植物モチーフに換える。昆虫の求愛(合体)というモチーフはテーマの予示である。これに対し草摘みモチーフは恋愛の場の造形である。実際に草摘みという体験を述べるわけではない。『詩経』では定型的な表現で効果的に詩の舞台や背景を作るのである。
心理的な抒情面でも定型的表現が用いられる。3の「未見君子」と5・6の「亦既見止」「亦既覯止」は定型句である。この定型句は、まだ再会していない時と既に再会した時の心の状態をストレートに平行させることによって、長い時間における苦しみが瞬時に喜び変転することを巧みに表現している。

〈語釈〉
〇喓喓・・・虫の鳴き声を表す擬音語。
〇趯趯・・・躍と同源の語で、高く躍り上がることを表す擬態語。
〇草蟲・阜螽・・・二つともバッタやイナゴの類。おそらくオンブバッタである。『爾雅』では草虫を負蠜、阜螽を蠜としている。蠜を負うものが負蠜である。オンブバッタは交尾の際に雄が雌の背に乗るという。交尾時以外でも雄を雌の背中に乗せる習性があるらしい。オンブバッタの体形は雌が雄よりも大きい。阜螽の阜は「ふくれて大きい」のイメージがあるから、阜螽はオンブバッタの雌、草虫はオンブバッタの雄と考えられる。雄と雌の合体の姿が6の覯(まぐわう、睦み合う)を想起させる。
〇未見君子・・・恋愛詩の定型句。「未見君子」と「既見君子」を対にして用いることが多い。恋人に会えない悲しさと、会った後の喜びを平行させて、喜びを爆発させる効果を狙う句法である。
〇忡忡・・・中は「突き通す」というコイアメージがあり、胸を突き刺すような感じを表す擬態語。
〇亦既見止・・・「既見君子」という定型句の異型。止はリズムを調節する詞。
〇亦既覯止・・・「亦既見止」のリフレーンであるが、見を覯に換えている。覯は単に「(二人が)会う」という意味もあるが、漢の鄭玄が指摘するように媾(媾合)に掛けて、男女がまぐわうという意味。
〇言・・・リズムを調節する詞。「ここに」と読む。「言采其~」は摘草モチーフの定型句。
〇蕨・・・Pteridium aquilinum var. latiusculum。コバノイシカグマ科ワラビ属のシダ植物。ワラビ。茎は長く、地中に這う。地下茎から出る若芽は食用になる。
〇惙惙・・・綴(ずるずるとつづる)と同源で、思いがずるずると続いて絶えない様子。
〇説・・・兌は「中身が抜け出る」というコアイメージがあり、ごたごたしたものが抜けてすっきりすること。説明の説や、悦(しこりが抜けてすっきりする)もこの意味。説は「ばらばらに解ける」が基本の意味である。
〇薇・・・マメ科ソラマメ属の草。Vicia sativa(オオカラスノエンドウ)またはV.hirsuta(スズメノエンドウ)に同定されている。茎は蔓状をなし他物に絡みつく。日本では誤って「ぜんまい」と読む。
〇夷・・・平らにする、平らげる(平定する)という意味。本詩の文脈では揺れる心が平らに落ち着くことを言っている。

行露コウロ篇―詩経国風・召南

厭浥行露   厭浥ようゆうたる行露      丸い玉なす道端の露
豈不夙夜   豈あに夙夜シュクヤに        朝な夕なに道端に
謂行多露   露多しと謂はざらんや    しっとり置いた露の多さよ

誰謂雀無角  誰か謂はん雀に角無しと    「スズメにくちばしがないなんて言わせんぞ
何以穿我屋  何を以て我が屋オクを穿うがつ  屋根のてっぺんに穴開けたのに
誰謂女無家  誰か謂はん女なんじに家無しと   お前に夫がないなんて言わせんぞ
何以速我獄  何を以て我が獄に速まねかる  掛け合いの場に呼ばれたからに」
雖速我獄   我を獄に速くと雖いえども   「掛け合いの場に呼ばれたけれど
室家不足   室家足らず         夫婦のあかしが足りませぬ」

誰謂鼠無牙  誰か謂はん鼠に牙無しと    「ネズミに歯がないなんて言わせんぞ
何以穿我墉  何を以て我が墉ヨウを穿うがつ   家のかきねに穴開けたのに
誰謂女無家  誰か謂はん女なんじに家無しと    お前に夫がないなんて言わせんぞ
何以速我訟  何を以て我が訟ショウに速かる 掛け合いの場に呼ばれたからに」
雖速我訟   我を訟に速くと雖いえども   「掛け合いの場に呼ばれたけれど
亦不女從   亦またなんじに従はず     もうお前の言うこと聞きませぬ」

〈形式分析〉
Ⅱ・Ⅲ   1誰謂[    a    ]
    2何以穿我[b]
    3誰謂女無家
    4何以速我[c]
    5雖速我[c]
                6[       d     ]

 

      Ⅱ

     Ⅲ

      a

  雀無角   kŭk

 鼠無牙   ngăg 

      b

  屋     ・uk

 墉     d(y)iung

      c

  獄     ngiuk

     訟       g(z)iung

      d 

  室家不足  tsiuk

 亦不女從  dziung 

(パラディグム表)

ⅡとⅢは語のレベルと文のレベルにおけるパラディグム(同系列語)を変換して二つのスタンザに反復するが、Ⅰは詩行の数も文体も違い、孤立している。Ⅰは詩の背景を設定する前提部である。
まずⅡとⅢのパラディグムを分析する。Ⅱ・Ⅲの縦列は音声上の類似性のパラディグムを含む(ただしⅢーaだけやや不規則)。
横の列(a・b・c・d)は意味上の類似性のパラディグムである。aは動物の体についての表現。スズメに角(ここでは嘴のこと)があるのは当然なのに「スズメにくちばしが無い」という否定の文。次にネズミに歯があるのは当然なのに「ネズミに歯が無い」という否定文に言い換える。1と3はパラレリズム(対偶法)をなし、「誰謂」を冒頭にもって来ることによって、全体が反問文(否定の否定)になっている。Ⅱーaは「スズメにくちばしがないと誰が言うのか。くちばしがあるのは次の事実によっても明らかだ」、「ネズミに歯がないと誰が言うのか。歯があるというのは次の事実から明らかだ」ということで、bにその証拠(根拠)を述べる。Ⅱーbでは家の屋根に穴が開いているという事実、Ⅲーbでは家の塀に穴が開いているという事実をもってくる。本当は屋根の穴も塀の穴もスズメやネズミとは限らないのであるが、むりやりに証拠に仕立てて積み上げていく、有無を言わせぬ論法なのである。それは何のためか。次の3・4における裁判沙汰に勝利する目的があるからである。1~4は男が女に結婚を求めて迫り、有無を言わさず説き伏せる台詞である。これに反撥するのが5・6の女の台詞である。
獄や訟という語があるがもちろん本当の裁判ではない。これは歌合戦、つまり歌によって勝負をする遊びなのである。歌合戦でなく論戦(掛け合い)でもよい。こんな遊びの背景には古代の習俗である歌垣のような祭礼が想定される。このことを最初に指摘したのはマルセル・グラネである(『中国古代の祭礼と歌謡』)。季節際において男女が踊りや歌で競い合い、好きな相手を求める遊びがあったと考えられる。
Ⅱーdでは「室家足らず」と拒絶する。室家とは夫婦の換喩である。夫婦となる条件が足りない、整っていないと言って拒絶する。この拒絶は一応の理由になる。Ⅲーdではパラディグムを外し、完全に不規則な文になっている。「亦女なんじに従はず」、「もうお前には従わぬ」という拒絶の仕方は理由がなく、言い訳にならない。つまり全面降伏せざるを得ない。畳みかける無理な論法に負けて相手を受け入れざるを得ない結果に終わるのである。
さてⅠのスタンザは何を表現するのか。露がたくさん置いた季節(夏から秋にかけて)は祭礼の到来を暗示させる。次のスタンザで行われる恋のゲームを導くために、孤立のスタンザを前に提示したのである。

〈語釈〉
〇厭浥・・・厭浥(・iap-・iəp、エフ-イフ)は双声かつ畳韻の語。水分を中に閉じ込めてふさいだ様子。
〇行露・・・行は道の意味。
〇豈不夙夜謂行多露・・・句股がりの文で、「豈夙夜に行に露多しと謂はざらんや」が一つの完結した文である。豈不は反問文を導く。夙夜は朝夕の意味。したがって「朝夕に道端に何と露が多いことか」という意味になる。従来二つの文として「豈夙夜せざらんや。行に露多しと謂ふ」と訓読していたが、これでは何が何やら分からない。
〇角・・・スズメの角とは角の形に見える嘴(くちばし)のこと。
〇女・・・詩経では汝の代わりに、女が二人称代名詞として使われる。
〇家・・・家と室は換喩によって夫や妻に意味になる。
〇速・・・「速まねかざる客」のように、「まねく」の意味。
〇獄・・・裁判の意味だが、隠喩によって競争、勝負ごとの意味、本詩では歌合戦の意味で使われている。
〇室家不足・・・夫婦となるべき条件が足りない。
〇牙・・・歯の意味。
〇墉・・・垣根。塀。
〇訟・・・訴え事、裁判。獄と同じく歌合戦の譬喩。

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