揚之水 揚あがれる水 早瀬のたばしる水でさえ
不流束楚 束楚ソクソを流さず 束ねたいばらを流せない
終鮮兄弟 終に兄弟鮮すくなく 兄弟姉妹が少なくて
維予與女 維これ予われと女なんじとのみ 残っているのは私とお前
無信人之言 人の言を信ずる無かれ 人の言葉を信じてはだめ
人實迋女 人は実まことに女を迋あざむく 人はお前をだますから
揚之水 揚あがれる水 早瀬のたばしる水でさえ
不流束薪 束薪を流さず 束ねたたきぎを流せない
終鮮兄弟 終に兄弟鮮すくなく 兄弟姉妹が少なくて
維予二人 維これ予われ二人のみ 残っているのは私たち二人
無信人之言 人の言を信ずる無かれ 人の言葉を信じてはだめ
人實不信 人は実まことに信ならず 人はほんとうに不実だから
〈形式分析〉
Ⅰ・Ⅱ 1揚之水
2不流束[a]
3終鮮兄弟
4維予[ b ]
5無信人之言
6人實[ c ]
|
Ⅰ |
Ⅱ |
a |
楚 ts"ïag |
薪 sien |
b |
與女 niag |
二人 nien |
c |
迋女 niag |
不信 sien |
(パラディグム表)
偶数詩行でパラディグム(同系列語)を変換し二つのスタンザに反復し展開させる。奇数詩行は一字も換えないリフレーンである。
縦列(Ⅰ・Ⅱ)はそれぞれ音声上の類似性をもつパラディグム(全く同音もある)。
横列は意味上の類似性をもつパラディグム。aは植物と関係のある語。bは人間と関係のある語。b―Ⅰは一人の人、b―Ⅱは二人の人。cは人間の性情に関係のある語。c―Ⅰは欺瞞性、cーⅡは不誠実さである。
冒頭の二詩行(1・2)は自然界の出来事である。激流の早瀬が束ねた植物を流すことができないと述べている。これはどういうことか。束楚や束薪は一本一本が分離しているものを束ねることによってばらばらにならないこと、つまりしっかり結合していることを表す常套語である。束薪モチーフは結合を象徴する。この束薪が急流に投げ込まれてもばらばらになって流れることがないということは次の詩行の予示となる。男女二人がどんな境遇でも、妨害者によって愛を妨げられ、引き離されることがないことを意味する。愛の妨害者は身内ではなく他人である。二人にとって他人は欺瞞と不誠実に満ちている。
二人は兄と妹と取ることもできるが、束薪モチーフが冒頭に掲げられているから、恋愛がテーマであることが示され、二人を相思相愛の男女と見ることができる。
〈語釈〉
〇揚之水・・・「揚れる水」は飛沫を上げて烈しく流れる水。之は「AのB」と二つの語を結ぶ働きがある。
〇束楚・・・楚はVitex negundo var.cannabifolia、クマツヅラ科ハマゴウ属の落葉低木のニンジンボク。古代では鞭や薪に用いた。
〇終・・・ついに、とうとう。
〇鮮・・・少ない。
〇維・・・リズムを調節する詞。「これ」と読む。
〇女・・・詩経では未婚の若いおんなの意味のほかに二人称に使われる。後の汝と同じ。
〇迋・・・口先ででたらめを言ってだます。たぶらかす。
〇不信・・・真実ではない。不誠実である。
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