考槃コウハン篇―詩経国風・衛風


考槃在澗  考槃して澗カンに在り      野遊びして谷川に来たら
碩人之寬  碩人セキジンの寛カンなる     すてきな人のうっとりした顔
獨寐寤言  独り寐ね寤めては言ふ   ひとり寝の夢覚めてつぶやく
永矢弗諼  永く矢ちかひて諼わすれじ    逢瀬忘れるまいいつまでも

考槃在阿  考槃して阿に在り        野遊びして丘まで来たら
碩人之薖  碩人の薖なる        すてきな人のしなやかな体
獨寐寤歌  独り寐ね寤めては歌ふ   ひとり寝の夢覚めて口ずさむ
永矢弗過  永く矢ちかひて過ごさじ       思い出こわすまいいつまでも

考槃在陸  考槃して陸に在り       野遊びして原まで来たら
碩人之軸  碩人の軸ジクなる      すてきな人のうしろ姿よ
獨寐寤宿  独り寐ね寤めては宿シュクす   ひとり寝の夢覚めてじっとする
永矢弗吿  永く矢ちかひて告げじ          誰にも言うまいいつまでも

〈形式分析〉
Ⅰ~Ⅲ 1考槃在[a]
    2碩人之[b]
    3獨寐寤[c]
    4永矢弗[d]

 

    Ⅰ

    Ⅱ

    Ⅲ

    a

 澗   kăn

 阿   ・ar

 陸   liok

    b

 寬   k'uan

 薖   k'uar

 軸   diok

    c

 言   ngiăn

 歌   kar

 宿   siok

    d

 諼   hiuăn

 過   kuar

 吿   kok

(パラディグム表)

毎詩行一か所でパラディグム(同系列語)を変換して三つのスタンザを反復する形式。
縦列(Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)はそれぞれ音声上の類似性をもつパラディグム。Ⅰは~ăn、Ⅱは~ar、Ⅲは~okの韻尾が共通である。異なった意味領域の語が音声の類似だけで結びつけられる。古典漢語は音韻体系が整然としているので、音声上のパラディグムが豊富である。何を選択するかが詩の眼目である。単なる思いつきの類似ではなく、意味上の類似性のパラディグムと網の目のように交差させないといけない。これは高度な詩法のテクニックである。
横列は意味の類似性をもつパラディグムである。aは地勢に関わる語。男女がデートをする場所の呈示。澗(谷川)→阿(川や丘の隈)→陸(丘、陸地)への変換は人目につかない場所から明るい広々とした場所への空間移動を示している。bは女性の姿態や振る舞いに関わる語。寛(ゆったりとくつろいださま)→薖(体が丸みをびて柔らかいさま)→軸(ひらりと身をひるがえすさま)への変換は女性の容姿や振る舞いのさまざまな変化を描く。cは作者(男性)の発言・発話に関わる語。思い出して独り言を言ったり歌ったり昂奮することから、何も言わないでじっと思い出に浸る場面へと変化する。dは作者の心理を述べる語。野外での楽しいデートの思い出を心に秘めて長く忘れないという誓いを述べる。
1・2は野外での野遊びの情景。2で恋人が出てくる。3・4は一転して家の中に変わる。独り寝をして楽しい夢から覚めて(3)、野遊びの思い出に浸る作者の独白(4)である。

〈語釈〉
〇考槃・・・考は曲がりくねる意味、槃はぐるぐる回る意味で、考槃はあちこち遊び回って楽しむことをいう。
〇澗・・・山と山に挟まれた水の流れ。谷間。
〇碩人・・・詩経の常套語で、ふくよかな女性、また、かっぷくのよい男性。本詩では女性である。
〇寬・・・ゆったりとしたさま。空間的にゆったりしたことから、精神的に余裕のあること、また心理的にゆったりと落ち着いた状態をいう。
〇矢・・・「誓う」という意味。
〇阿・・・山や川の曲がって入り組んだ所、隈。
〇薖・・・咼は「丸い」というイメージがあり、丸みがあって柔らかな感じを表す語。
〇過・・・程度を越す意味。
〇陸・・・小高い土地。川や山に対しては野原である。
〇軸・・・するりと抜け出るように進む意味。ひらりと身をひるがえして立ち去ることを暗示させる。
〇宿・・・じっと止めおく。
〇告・・・秘密などを他人に告げる。